京都縦貫道 亀岡インターを降りて二分で到着します

はせだじんじゃ
走田神社
本殿
御祭神と社号の由来
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
     ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと
記紀神話の神・彦火火出見尊の子
母は豊玉姫命神武天皇の父。
         
◆ 彦火火出見尊
  
ひこほほでみのみこと
神武天皇の祖父・稲穂の神・穀物の神。

◆ 豊玉姫命
 
とよたまひめのみこと
海神の娘・彦火火出見の妃。
    
はせだ     

社号「走田」の由来

当社に奉納されていた絵馬から、
毎夜馬が抜け出し馳せてその
足跡が溝となり川となって田を
潤したからとされている。


由   緒
祭神は神話「海幸・山幸」に登場する「山幸」にあたる彦火火出見尊と、その妃である豊玉姫命(彦火火出見尊が海幸の釣針を
探すため行かれた龍宮に住む海神の娘)と、その御子彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の三神であり、男神女神の二神像と童形の神像
との三柱を奉斎する。当社の創立については、口伝によれば奈良時代和銅四年(七一一)創祇されたという。平安時代に記された
「延喜式」の丹波国桑田郡の項にその名が見え、その存在が確認されている。以後中世の記録はなく、江戸時代に入って、亀山藩
松平家の支配地の安町村・余部村・河原町村・新家村・穴川村の氏神として厚く尊崇をうけてきた。本殿も元禄十五年(一七〇二)
にほぼ現在と同じ規模のものが建築され盛大な正遷宮の祭典が行われた事が記録に残り、その棟札の文面も現存する。以後、
諸付属建築物および末社が次々と建ち、灯籠は寛永元年(一六二四)建立のものを最初として、元禄・享保・元文・宝暦・安永・寛政・
天保と各年号を記した二十基を越えて列立し、江戸中期以後の氏子の尊崇の度合が証される。
明治に入り亀岡町制がしかれると、その西部の氏神として、東の鍬山神社と旧亀岡町を二分した形となって今日に続いている
秋の例祭「神輿渡御」

例年10月に走田神社氏子地域を朝9時に出発して
約20㎞の道程を総勢150人で練り歩きます。

走田神社 末社の神々

『百太夫社』 稲荷社』 『経津主社』  『大黒社』  『弁財天』
入口の左側
子育ての神として
古来より崇拝される
食の神
五穀豊作・商業繁昌の
神として古来より
尊敬される
本殿手前中段の右側
武術・技術・芸術向上の
神として尊崇される
本殿手前中段の左側
縁結びの神・家庭の
安穏の神として
崇拝される
参道奥の池の中
女性の神
女性の信頼が昔より厚い

2012年10月  走田神社創建1.300年 記念イベント

焼きそば・ぜんざい等の
振る舞い
若林宮司と御茶席担当の
女性の皆様
抽選会
明智かめまる君も参加
オープニング
走田太鼓の演奏
ステージ発表を楽しむ
氏子の皆さん